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ウォルター・ピークの歴史

Date: 20 2月 2019

コイントスの勝算に自信はありますか。ヨーロッパ系移民の運命はしばしばコインの表か裏かで分かれました。

ある逸話では、1850年代の終わり頃、湖のどちら側の岸をとるか、という賭けをした男たちがいたそうです。一方のウィリアム・リーズはクィーンズタウン側を手にし、ゴールドラッシュの繁栄を迎えました。対するニコラス・ヴォン・タンゼルマンはウォルター・ピークのふもとに拠点を築きましたが、度重なる吹雪で家畜を失い、やがて諦めて立ち去ることになってしまいました。

クィーンズタウンの通りや地区、地理的な目印には、土地に所縁のある家族の苗字に由来するものがたくさんあります。探検家、測量士として活躍したウィリアム・ギルバート・リーズは、クィーンズタウン開拓当初に定住し、身近な人々にちなんだ名前を多数残しました。彼の息子、セシル・ウォルター・リーズは、セシル・ピークとウォルター・ピーク、2つの山の名前になっています。フランクトンという近郊地区の名前は妻のフランシスに由来しています。

1880年代後半にウォルター・ピークを入手したマッケンジー家は、転居後すぐに土地と建物の改善を始めました。ヒュー・マッケンジーは、フェンスの設営や高原牧場の運営方法など、画期的な手法をこの地で導入しました。立派な邸宅を建て、有名な庭園を造ったのも彼の代の偉業のひとつです。

マッケンジーの一族は80年間にわたり牧畜を営み、不毛と言われた土地で利潤性の高い事業の場に変えました。ウォルター・ピーク高原牧場は最盛期には17万エーカーの土地で4万頭の羊を飼い、50人のスタッフを雇用していました。ここからロンドン市場へ運ばれていったメリノウールは、1930年代に3度もオセアニア産ウールでトップの成績をおさめ、有名なウェンブリー博覧会で1等賞を獲得しました。

カーネルズ・ホームステッドは1908年にピーター・マッケンジー大佐の結婚祝いに父親のヒューが贈ったものです。

1977年の火災で邸宅も被害を受けましたが、丁寧に再建されました。ガーデンの造園は1870年代に始まりました。その際に植樹されたプラタナスとオークはこの地域の外来樹では特に古いもので、保護対象となっています。1960年代には固有種のカウリの木々も植えられました。その後数十年の間にも手入れが進み、美しいガーデンが楽しめるようになっています。

初期は特に孤立した環境にあったため、ガーデニングのように心の支えや癒しになる活動はとても大切でした。かつてはクィーンズタウンに行くにも、手漕ぎボートで片道5〜7時間かかりました。それでもマッケンジー家の人々は日曜になると湖を渡り、教会に通っていたそうです。

リアル・ジャーニーズは2014年にウォルター・ピーク高原牧場の一部をなすカーネルズ・ホームステッド周辺の土地を購入した後、牧場の本来の姿を取り戻すための大規模なプロジェクト「ウォルター・ピーク再生プロジェクト」に着手しました。

セントラル・オタゴの周辺地域と同様、ウォルター・ピークの155ヘクタールに及ぶ広大な土地にも外来種の雑木や雑草が広く繁茂していたため、これを除去することから始めました。

さらに、所々に固有種の樹木をまとめて植えたり、眺めの良いビーチ・ポイントに至る一般遊歩道を湖畔に整備したりしています。

在来種の大規模な植樹は、外来種のマツの侵襲を食い止め、本来の姿に戻すというリアル・ジャーニーズの大規模な受賞環境プロジェクトの最終段階であり、今後も継続して行われることになっています。

Walter Peak Land Restoration Project


投稿写真用タグ:#RealJourneys

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